移住定住

山口県周防大島町沖家室島・お試し暮らし体験記(千葉県在住・工藤さん)

「瀬戸内のハワイ」として知られる山口県周防大島町。「周防大島」という名前の島があるわけではなく、主島である屋代島を中心に、橋で繋がった沖家室島、そして定期船で結ばれた4つの有人島に人々が暮らしている。私がこの島を知ったのは2020年のこと。SNSを通じて、集落支援員の榮さんと出会ったのがきっかけだった。

当時の私はまだ独身で、今の妻とも出会っていない。もともと日本の田舎や離島を旅するのが趣味で、そうした地域の活性化に携わりたいという想いもあった私に、榮さんは度々、周防大島への移住を勧めてくれた。その後、私は妻と出会い、2023年に結婚する。その前提には、はじめから「田舎移住」があった。

周防大島が移住候補地になった理由

数ある田舎や島の中から周防大島が候補になった理由は、大きく3つある。

漁船の上から望む瀬戸内海と島影

ひとつ目は、榮さんの存在だ。見ず知らずの土地に移り住むのはハードルが高い。そもそも榮さんと出会わなければ、周防大島は「いつか訪れるかもしれない旅行先」のひとつにすぎず、島での暮らしを思い描くきっかけすらなかっただろう。

車で大島大橋を渡る車内からの風景

2つ目は、主島の屋代島が「田舎過ぎない」ことだ。本州と橋で繋がっているうえ、島内にはコンビニもスーパーも薬局もホームセンターもあり、案外便利に暮らせる。子どもの教育面でも、保育園から高校までが島内で完結する。

全国の日照時間データ比較表(安下庄観測点)

3つ目は気候である。気象庁の観測点がある周防大島の「安下庄」における日照時間の長さ(平年値)は全国トップクラスで、天気に恵まれた土地であることがデータからも見て取れた。冬の平均気温も周辺地域より高く、私たちが理想としていた「太陽の光を感じられる暖かい場所」という条件にぴたりと当てはまっていた。

夜に光る「SUO OSHIMA」のネオンサイン

とはいえ、私たちには瀬戸内地域に親戚がいるわけでも、榮さん以外に知り合いがいるわけでもない。私自身は2020年に榮さんに会うため一度島を訪れていたが、妻にとっては未知の土地だった。妻と、当時生後半年だった長女を連れて周防大島を訪れたのは2025年2月のこと。

この時はあいにく雪が降った。しかも周防大島(屋代島)は、国内に400以上ある有人島のうち面積が上から20番目に入る、非常に大きな島だ(北方領土を除く)。2〜3日の滞在では、観光地を巡ることも、暮らしの様子を掴むことも、とても叶わなかった。

瀬戸内の海の幸を使った鍋料理

長女はもうすぐ2歳になる。都会では待機児童の問題があり、主婦や休職中の親が子どもを保育園に預けるのは難しい。妻も社会復帰を望んでおり、子どもにとっても友達がいたほうがいい。「そろそろ保育園に…」と考えると、待機児童のいない地域への引っ越しという選択肢が出て来る。

2026年2月には次女も生まれた。そうして私たちは「2027年4月に周防大島へ移住する」と一旦決めて動き出した。なお、他の地域との比較検討は、ほとんどしていない。

高台から望む青空と瀬戸内海の多島美

ちなみに、今回のお試し暮らし期間中に何度も耳にしたのは、家族で田舎へ移り住む際には奥さんの理解が不可欠だ、という話だった。【ロマンを求めて突き進む夫】と、【不安を抱えて躊躇する妻】という構図が一般的には多いらしい。妻は、付き合った当初から、私が田舎移住に興味を持ち、榮さんと連絡を取り合っていることを知っていた。だからこそ移住そのものにも前向きで、候補地が周防大島であることにも理解があった。

お試し暮らし前の準備

まず勧められたのが『お試し暮らし』だ。数週間、お試し暮らし用の住宅に滞在しながら、空き家や仕事を探したり、先輩移住者から話を聞いたりする。

移住相談件数の推移グラフ(2009〜2025年)

私は育休を活用し、2026年7月の後半に2週間、周防大島で暮らしてみることにした。

お試し暮らしをするにあたって、私たちがまず足を運んだのは、東京・有楽町にある「ふるさと回帰支援センター」だ。ここには日本全国の移住相談窓口が集まっており、東京から地方への移住を考える人の心強い味方になってくれる。

山口県には、移住活動にかかった交通費の一部を年に一度補助してくれる制度がある。この補助を受けるには、事前にふるさと回帰支援センターの窓口で挨拶を済ませておく必要があった。4月末にその挨拶を終え、続いて取りかかったのが、お試し暮らし住宅の予約である。

沖家室島にあるお試し暮らし住宅の外観

周防大島町には、お試し暮らし住宅(通称「島暮ら荘」)が3つある。事前に榮さんとも相談し、榮さんの自宅兼事務所のすぐそば、沖家室島の家に滞在することに決めた。あわせて、周防大島町の空き家定住対策課にも電話を入れた。役場では、滞在中に見学したい場所や会いたい人、空き家バンクの物件見学などを組み合わせた『オーダーメイドのツアー』を用意してくれるという。こうした調整を進めたのは、お試し暮らしの2か月前にあたる、5月後半のことだった。

移住相談のオンライン打ち合わせの様子

6月に入ると、役場や榮さんとの間で、オンラインでのやり取りが何度かあった。事前のやり取りでも、現地で島の人と話すときも、決まって聞かれるのが「何をやりたいのか」ということだ。

私がやりたいのは、『自分のライフワークを作ること』である。これから日本人の健康寿命はさらに延びていくだろう。定年のある会社に勤め続ければ、退職後の20〜30年をどう過ごすかという問題が残る。年金がきちんともらえる保証もない。かといって、会社にしがみつき続けるのにも違和感がある。それならば、体力があるうちに田舎へ移り、長く働き続けられる基盤を作ったほうがいい。周防大島に限らず、日本の田舎には元気に働くお年寄りが多く、いわゆる「生涯現役」の働き方が根づいている。

路面に「ハワイ」と書かれた周防大島の道路

そして、観光にも携わりたい。これまでの私のキャリアの軸にあるのは、一貫して観光だ。「瀬戸内のハワイ」として多くの観光客が訪れる周防大島の、その力になりたいと思っていた。

理想は、観光と一次産業を組み合わせた働き方である。観光もそうだが、一次産業はとりわけ季節性が高い。観光を軸に据えつつ、人手が足りない時期には農業や漁業にも手を貸したい。さらに、地域活性化という観点から、榮さんが担う集落支援の仕事にも関心があった。

透きとおった海で子どもと遊ぶ様子

加えて、夫婦に共通する願いもある。それは、自然と人とのつながりを身近に感じられる場所で子育てをしたい、というものだ。妻自身も、農業や社会教育に関心を持っていた。

約2週間のお試し暮らしスタート

そして7月19日の夕方、岩国で借りたレンタカーに家族4人で乗り込み、大島大橋を渡った。

島内のドラッグストア「ウォンツ」の外観

まずは島内の薬局(ウォンツ)で、子どものおむつとお米を調達。続いてホームセンターで長靴と作業用の手袋も買い揃え、17時に沖家室島へ到着した。荷物を一旦置くと、すぐに対岸の佐連集落へ向かった。榮さんが自治会長を務める集落で、この日はちょうど海岸清掃があり、そこで住民の皆さんに挨拶をさせていただいた。

佐連集落の海岸清掃に参加する住民の皆さん

誰もがオープンで、気さくに話しかけてくれるのが印象的だった。移住者だけでなく、島に長く暮らす方々も、かつて島の外で生活した経験を持つ人が多いからかもしれない。榮さんからは早速タイとアジをいただいたが、あいにく我が家には魚を捌くスキルがない。翌朝、近くに住む方に捌き方を教えてもらう約束をして、この日の夕食は、白米と、昼にスーパーで買った総菜で済ませることにした。

お試し暮らし住宅の室内。畳と縁側のある古民家

お試し暮らし住宅は、いわゆる宿ではない。基本的な家具や調理道具、掃除用具、寝具までひととおり揃った「家」である。シャンプーや洗剤まで用意されていて、まさに至れり尽くせりだった。利用者に光熱費はかからない。トイレは簡易水洗で、詰まりやすいというので、トイレットペーパーの流し過ぎには注意が必要だ。

そして当然ながら、虫は多い。今年はアブや蜂が多かったようで、少しでもドアや窓を開けていると、ブーンという重低音を響かせて彼らが侵入してくる。車の中も同じだ。子どもが刺されでもしたら大変なので、窓を開けることはできなかった。それでもエアコンはよく効き、家もきれいに管理されていて、2週間の滞在でゴキブリはたった5匹しか出なかった。

とはいえ、私は夜に足を虫に刺され、激痛で眠れない夜もあった。電気を点けて確認しても、虫の姿は見当たらない。しばらくお湯で流し続けると、翌朝には痛みが引いていた。さらに榮さんも、私の滞在中に唇を蜂に刺されてしまった。

風のない、鏡のように穏やかな瀬戸内海

事前のイメージとの間に、ネガティブなギャップを感じたこともある。風が、ほとんど吹かないのだ。聞くところによると、ここ数年で、めっきり吹かなくなったらしい。海風を感じられる暮らしは、我々が思い描いていた理想のひとつだった。海に囲まれているのに、この無風は少し意外だった。もっとも、風がないおかげなのか、潮風で錆びついた車を見かけないのは、海辺の町にしては珍しい利点なのかもしれない。そして、とにかく、滞在中はまとまった雨が1日も降らず、暑い日が続いた。

夜明けの海に出た漁船から見た景色

翌朝は4時半に榮さんと合流し、船に乗り込んで、釣りに同行させていただいた。釣りといっても遊びではなく、これも榮さんの仕事の一環である。漁業というと、どこか荒々しいイメージがあるかもしれない。だが、ここでの漁はそうではなかった。

陸から数十分ほど船を沖に出し、まだ陸地が見える場所で魚を釣る。竿は使わず、糸を手でつかんで操る「手釣り」という方法で、魚がかかると一本ずつ丁寧に糸を手繰り寄せていく。狙うのはアジだ。私は釣りをほとんど経験したことがなかったが、道具を貸していただき、見よう見まねで何匹か釣り上げることができた。

手釣りでアジを釣り上げる様子

一方の榮さんは、糸を落とせばかかり、釣り上げ、また落としては釣り上げる——その繰り返しだ。どうやら今年は、近年稀に見る豊漁だったらしい。

9時ごろまで洋上で過ごし、午前中は家族で島内のスーパーへ食料の買い出しに向かった。ところが、ここで島の大きさを改めて痛感することになる。

暮らして痛感する周防大島の大きさ

滞在中に何度か利用したスーパー、久賀集落の「中央フード」までは、車で約30分。おむつを売っている西三蒲の薬局「ウォンツ」までは、約35分かかる。

久賀集落のスーパー「中央フード」の外観

ちょっとした買い物でも、往復で1時間半から2時間は要する。買い物のほうは、買い溜めをしたりネット通販を活用したりと工夫のしようもある。だが、我々にとってより重要なのは保育園だ。最寄りの保育園まで約20分。送り迎えだけで、1日に合計1時間20分は取られる計算になる。保育園から急な呼び出しがあったときの対応も、決して楽ではない。

さらに、白木半島の先端に位置する沖家室島や佐連では、救急車や消防車が駆けつけるにも時間がかかる。半島の先で暮らすとは、こういうことなのだ。2週間の滞在で、島内を走った距離だけで1000kmを超えた。

かさむのはガソリン代だけではない。車の消耗、事故のリスク、そして何より「時間」が削られていく。移動に費やす時間は、働く時間か、家族と過ごす時間か、そのどちらかを確実に奪っていく。もっとも、これは住む場所次第で大きく変えられる部分でもある。

周防大島観光マップの案内看板。島の大きさがわかる

スーパーや保育園、病院に近い島の中央寄り(久賀や小松あたり)に暮らせば、送迎の20分は5〜10分に縮まり、買い物の往復もぐっと短くなる。同じ「周防大島移住」でも、どこに住むかで生活の難易度はまるで変わるのだ。

そんなわけで買い物を終え、沖家室島の家に戻ってくると、時刻はすでにお昼過ぎ。昼食のあとは荷物の整理などをして、夕方には再び榮さんの船に乗せていただき、沖へ出た。ちなみに、朝晩の釣りは、私のほうから「行きたい」とお願いして連れて行ってもらったものだ。

空き家を見学して知った現実

3日目は、役場の方が調整してくださったオーダーメイドツアーへ。まずは、先輩移住者(移住サポーター)とのお話から始まった。

先輩移住者のお宅を訪ねる家族

今回の滞在中にお会いした家族連れの先輩移住者は、山口県内や広島県、福岡県といった近隣に親戚がいる方が100%だった。週末に車で通える距離に住んでいれば、何度も島へ足を運びながら、家を見つけたり、仕事を探したり、島暮らしへの準備を少しずつ進めていける。実際、そうやって移住に至る人がほとんどのようだ。

私のイメージでは、家を先に見つけて引っ越してから仕事を探すか、あるいは仕事(就職先)を決めてから家を探すか、移住とはそのどちらかだと思っていた。ただ、我々の場合は2027年4月の移住と決めて動いている以上、まずは住む家が決まらないことには何も始まらない。仕事のことはひとまず脇に置き、この時点では「まずは家探しから」という認識でいた。

沖家室島の細い路地と古い家並み

移住サポーターとのお話の次は、いよいよ空き家バンクの物件見学だ。事前に周防大島町の空き家バンクのサイトから気になる物件をリストアップし、役場の方に共有していた。2026年7月時点で、周防大島町の空き家バンクには、60件以上の物件が登録されていた。まず我々の希望は、初期費用を抑えること。基本は賃貸で考えていたが、リフォーム不要の物件を安く買い取れる可能性もある。加えて妻の希望として、家庭菜園ができる小さな庭がほしかった。エリアは島内に限定せず、幅広く6軒を見学した。

空き家バンク物件の実際の状態。雑草、残置物、雨漏り跡、傾き、汲み取りトイレ

結論から言うと、我々が「ここに住みたい」と思える物件はなかった。見て回るうちに、次々と気になる点が浮かび上がってきたのだ。

まず、家の状態そのものに難があった。トイレが汲み取りか簡易水洗で、浄化槽に切り替えるのが一般的らしいが、それだけで最低100万円はかかる。空き家になっている年数が長い物件は、シロアリが入り込んでいる可能性も高い。地盤沈下で傾いているものや、雨漏りの修理が必要なものもあった。

広さや付属物が、かえって負担になるケースも多かった。家が大きすぎれば、その分だけ管理が大変になる。物件によっては山林が付いてくるが、それが家に隣接しているとは限らず、離れた裏山の一画だけ、ということもある。いずれにせよ、手入れの手間は避けられない。畑や庭も、広すぎれば草刈りに追われることになる。加えて、前の住人の荷物が家の中に大量に残っている物件も少なくなかった。

立地や道の条件も見過ごせない。家までの道が狭く、軽自動車なら通れてもワゴン車は入れない物件は、今後3人目の子どもができたときに詰んでしまう。海に面していて高潮や津波が心配な家もあれば、裏手が崖で土砂崩れが怖い家もあった。

坂の多い集落を歩いて空き家を見学する

そして何より、これだけの難点を抱えていながら、いざ買い取りとなると価格は決して安くないのだ。

どうやら一旦は仮住まいを決めて、暮らしながらじっくり理想の家を探し、島内で改めて引っ越す方が多いらしい。エリアを幅広く見て回った結果、我々の希望は、できれば道の駅から久賀にかけての国道437号線沿い、というあたりに落ち着いた。

もっとも、島の空き家はこの60件がすべてではない。実際には、島内に数千件もの空き家があるといわれている。空き家バンクに登録されているのは、いわば買い手や借り手がなかなか見つからない物件だ。裏を返せば、状態のいい家は、バンクに載る前に人づてで決まっていく。先輩移住者たちがそうだったように、時間をかけて島に通い、地域と関係を築き、その延長でいい家に出会う。いわば「家探し」は、そのまま「地域との関係づくり」と「見極めの時間」を兼ねているのだ。

港のそばで過ごす子ども

子連れの世帯は、基本的に橋の近くを勧められる。生活の利便性を思えば当然の助言だが、橋のたもとまで来てしまうと、それはもう対岸の柳井に住むのと大して変わらない。わざわざ島に移り住む意味を、どこに見出すのか。ここでもまた、「どこに住むか」という問いが立ち上がってくる。

そして、我々の状況には、正直に向き合っておくべき難しさがいくつかある。

ひとつは、空き家バンクの物件で、子育て世帯が安心して住める水準の家が、都合よく2027年の春に空いている保証はないこと。ふたつ目は、遠方から動いているぶん、内見のたびに時間もお金もかかり、どうしても「見た数少ない物件の中から選ぶ」ことになりがちなこと。そして3つ目、これが一番大きいのだが、前にも触れたとおり、「半島の先か、島の中央寄りか、どこに住むかで生活の難易度がまるで変わる」という問題だ。

集落の中にある空き家を外から確認する

期限に追われて焦って決めれば、この一番大事な選択を、妥協で埋めてしまいかねない。

結局のところ、「ここだ!」と家族みんなで納得できる家に出会えるかどうか。それが移住の成否を分ける鍵になる。

もちろん、そんな一軒にあっさり巡り会える可能性も、ゼロではない。その後も何軒か見て回り、この滞在中に見学した空き家は合計15軒ほどになった。それでも、本命はもちろん、仮住まいの候補となる家すら、これ!という一軒には出会えなかった。

「やりたいことをやる」の本意

オーダーメイドツアーでは、私が関心を寄せる「観光」について、観光協会の方などから話を聞くこともできた。とはいえ、具体的な求人があるわけではない。

「瀬戸内のハワイ」を象徴するヤシの木とフラダンス

そもそもこの島では、どこかに雇われて正社員として働くという発想は、むしろ少数派のようだった。それくらい、自分で商いを営む事業主が多い。「やりたいことは何か」と繰り返し問われる、その真意もここにあったのだと思う。

ここで言う「やりたいこと」とは、つまり具体的な事業のことなのだ。

正直に言えば、私のスタンスは「困っているところの力になりたい」という、どちらかといえば受け身のものだ。だが島の皆さんは、基本的に自分のやりたいことをやっている。釣りが好きだから遊漁船を営む、漁業を生業にする。作物を育てたいから畑を借りて、野菜を作って売る、コーヒーにハマったからカフェを開く、という感じだ。ゴーイングマイウェイで、それぞれの理想ややりたいことを大切にしていて、誰かを正社員として雇ってまで事業を広げようという空気はあまり感じられない。

港町の風景と穏やかな瀬戸内海

観光にしても同じで、観光客を誘致して島全体の観光を盛り上げよう、というよりは、ガイドをやりたい、ゲストハウスを開きたいといった、いわゆるプレイヤー側の担い手こそが求められている。

その一方で、皆さんが手の届く範囲で商いをしているぶん、ちょっとした手伝い程度の仕事なら無数にある。これも求人として出ているわけではなく、「ちょっと手伝ってよ」というノリで決まっていくのだろう。ただ、そうした日銭の仕事に収入源を頼るのは、やはり心もとない。

この島で豊かに暮らしていくには、結局のところ、柱となる自分自身の事業が要る。

ここが、観光という仕事の難しいところでもある。島の魅力をただ紹介するだけでは、お金にはならない。島内の事業者と連携して営業に回り、観光客の数を増やしたところで、それが直接自分の収入になるわけではないのだ(だからこそ、観光の担い手は税金や補助金頼みになりがちになる)。

やりたいことをやるにはお金がかかる

「この島は日本の未来だ」と、皆さんが口々におっしゃるのが印象的だった。

古民家の縁側に集う人々

高齢化が進み、集落の過疎化が止まらないこの国が、これからどう生き延びていくのか。そのヒントが、確かにこの島にはある。一方で、島で生き生きと事業を営む方々には、年金や投資といった固定収入がある人が少なくない。

年齢的に貯蓄のある人も多く、正直、お金に余裕がありそうな印象を受けた。無収入の時期に耐え、初期投資に回せる資金があってこそ、人はさまざまな挑戦ができる。そもそも、心から「これをやりたい」という事業がすでにあるのなら、私はとっくに始めているはずだし、わざわざ周防大島に移り住む必要もない。

古民家の庭で過ごす子どもたち

一人でできることには、当然限界がある。けれど、この島で求められているのはむしろ、一人でできる範囲のことを地道にやることなのかもしれない。だからみんな現場に立って、忙しそうにしている。仕事はある。ただ、その多くは日当仕事で、固定収入がないという不安は、やはり拭えない。

そして、「では何をして稼ぐのか」というこの問いの答えは、結局、2週間の滞在では見つけられなかった。

代わりに、今回あらためて見えてきたものがある。家族計画と、それに伴う働き方だ。「何をして稼ぐのか」という問いは、結局のところ、我が家がこれから何人で、どう暮らしていくのかと切り離せない。その話は、もう少し先で改めて書くことにしたい。

わが家は子どもに、どんな教育を与えたいのか

さらにオーダーメイドツアーでは、島の保育園事情を知るべく福祉課からも話を伺い、後日、実際に保育園の見学にも足を運んだ。結論から言えば、保育園については心強い情報ばかりだった。

久賀保育園の外観

まず、都会で頭を悩ませた待機児童が、この島にはいない。所定の手続きさえ踏めば、いつでも入園できる(入園は月初とのこと)。一時預かりも随時受け付けていて、今回の滞在中も、希望すれば利用することができた(結局、預けはしなかったが)。

園によって在籍する子どもの数には差があり、保育園のすぐ近くに住まなくても、送迎バスが来てくれるエリアもあるという。実際に見学した園の雰囲気も、思い描いていたイメージそのままで、安心できるものだった。

教育についても、少し長い目で見ておきたい。今は保育園のことばかり考えているが、その先には当然、小学校、中学校、高校が控えている。周防大島では、高校まで島内で完結させることも一応は可能だ。ただし、これも住む場所次第で、高校までは毎日の送迎がセットになるケースもある。実際、子どもが中学生になるタイミングで、島の外へ引っ越していく家庭もあるという。

港を眺める子ども

島内の教育事情に詳しい方にも話を聞かせていただいたが、教育の水準という点にこだわるのであれば、正直、課題は少なくないらしい。とはいえ、5年~10年先のことは、今の時点で考えてもきりがない。それくらい、この島では人口減少と高齢化のスピードが速い。数年後には、学校そのものが統廃合でなくなっている可能性だってある。かといって、公共交通が今より便利になる見込みも、残念ながら薄い。

教育のことまで考え始めると、答えの出ない問いばかりが増えていく。難しい、というのが正直なところだ。仕事は変えられるし、家は引っ越せる、収入も組み直せる。だが、子どもの小中学校の時期は一度きりで、やり直しがきかないのだ。

だからこそ、環境の良し悪しをあれこれ思い巡らせる前に、まず立ち返るべき問いがあると思った。そもそも、「わが家は子どもに、どんな教育を与えたいのか」。妻とも、あらためてそのことを話してみた。

台所で魚をさばくことに挑戦する子ども

まず、何でも揃っていて、何でも与えられる環境は、むしろ避けたい。欲しいものが最初から手の届くところにあると、人は考えなくなるし、受け身になってしまう気がするからだ。それよりも、自分の頭で考え、逞しく、強く生きていける子になってほしい。

もちろん、勉強は大事だ。ただ、その勉強にしても、まずは気力と体力があってこそだと思う。興味や関心を持ったことに夢中で食らいつき、やり続けられる気力と体力がなければ、どれだけ恵まれた環境を与えられても、結局は活かしきれない。学力や知識は、その土台の上にこそ積み上がっていくものではないだろうか。

そう考えると、「何でもある」わけではない島の暮らしは、我が家にとってはむしろ望ましいのかもしれない。不便さや、自分で工夫しなければならない場面の多さは、裏を返せば、子どもが自分の頭と体を使って生きる力を養う場になりうる。

集落のバス停。公共交通は限られている

「教育水準に課題が多い」という島の現実も、この教育観に立てば、必ずしも欠点とは言い切れないのだ。とはいえ、この教育観そのものが本当に正しいのかどうかは、正直、分からない。突き詰めていけば、子育てに「これが正解」という答えなど、どこにもないのだと思う。

どんな環境を選んだところで、それが子どもにとって最善だったかどうかを、前もって知ることはできない。島を選んでも、都会に残っても、答え合わせができる日は来ないのだ。とにかく、子どもが何かに夢中になったそのときに、その背中をしっかりと応援してやれる。そんな親でありたい。あれこれ考えを巡らせてはみたが、願いは突き詰めれば、ただそれだけなのだ。

周防大島への移住は一旦仕切り直し

オーダーメイドツアー以外にも、空き家を見学したり、島の人に会いに行ったりと、滞在中の予定は日を追うごとに埋まっていった。しかし、話を聞けば聞くほど、目の前の選択肢は無限に広がっていき、そのぶん迷いも大きくなっていった。

島の幹線道路・国道437号線沿いの風景

周防大島は「便利」なのだ。その気になればド田舎らしい暮らしもできるし、コンビニもスーパーも病院もそろった、地方都市に近い暮らしも選べる。住む場所も、働き方も、子育てのかたちも、選択肢はいくらでもある。

もし島がもっと小さくて、住める場所も、できることも、最初から限られていたなら、いっそ潔く腹を括れたのかもしれない。豊かな可能性は、そのまま、決めきれないもどかしさの裏返しでもあった。

そんなふうに迷いながら、島のあちこちを歩き回った2週間だった。思えば、移住の話をしているつもりが、いつのまにか働き方や、お金や、教育、自分たちの生き方そのものを問い直していた。

小さな子どもを連れて見ず知らずの土地へ移り住むというのは、つまるところ、ひとつひとつの現実に向き合いながら、自分たちの価値観を問い直し、組み立て直していく作業なのだと思う。

海の向こうに見える集落の全景

そんな2週間の滞在にも、ひとつの区切りがついた。榮さんの尽力もあって、最終的に、佐連集落で住めそうな家が見つかったのだ。移住先の家という、最初の大きな関門。それが一応、形になったことになる。

しかし、今の我が家の気持ちは、「もう一度、移住先をゼロから探し直したい」という方へ傾いている。

これまで我々は、移住先を周防大島に決め打ちしてきた。だからこそ、他の地域のことはまったく調べてこなかった。実際に島で二週間を過ごしてみて、むしろ視野を広げ、他の選択肢ともきちんと比較検討したい、と思うようになったのだ。

夕暮れの海沿いの道を歩く家族

これは「周防大島がダメだった」という話ではない。むしろ逆だ。具体性がなければ、そもそもどこから考えればいいのかさえ分からない。地図を眺めて、夫婦の想像だけであれこれ語り合うのには、限界がある。一度、周防大島と腹を決めて実際に動いてみたからこそ、比較の”ものさし”ができた。まずは周防大島と決めて動いてよかった、と心から思う。

そして、2週間のお試し暮らしで出た結論は——結局のところ、お金だった。

身も蓋もない話だが、お金がなければ収入源がいる。収入源とはつまり、仕事だ。空き家をいくつも見て、なかなか「これ」という物件には出会えなかったけれど、裏を返せば、お金さえあればリノベーションもできるし、いっそ新築を建てることだってできる。かといって、DIYのスキルを一から身につけるような時間的余裕も、今の我々にはない。結局、どの道もお金に行き着くのだ。

夕焼けに染まる港と漁船

そして、この「お金」の問題は、我が家の家族計画にも結びついている。先に少し触れたとおり、私たちには二〜四年以内にもう一人、三人目を授かりたいという願いがある。そうなると、当面の五年ほどは、私が勤めに出て固定収入を確保し、妻は短期のアルバイト(本人の希望は農作業)を無理のない範囲で、という形が現実的だろう。

次の子が生まれれば、上の二人は基本的に私一人で見ながら働くことになる。だからこそ、まずは安定した勤めを軸に据え、そこへ何かしらの兼業を足していく。オンラインの収入源があればより心強い。それが、いまの我が家にとって、いちばん地に足のついた道に思える。

この結論は、ある意味で「周防大島でなければならない理由」を、自分で消してしまってもいることにもなる。固定収入の勤めが軸でいいのなら、それは対岸の柳井市でも、岩国市でも、極端に言えば、日本のどこでだって成り立つ。

穏やかな入り江と港。周防大島の日常の風景

思えば、「周防大島でなければならない理由」は、最初から盤石だったわけではないのかもしれない。冒頭に挙げた三つの理由——榮さんの存在、田舎過ぎない便利さ、そして気候。あれらは確かに、周防大島を「いつか訪れる旅行先」から「移住の候補地」へと引き上げてくれた。

けれど、そのどれもが、「この島でこう生きていく」という暮らしそのものを支える柱には、なりきれていなかった。腹は括ったはずなのに、田舎移住計画は仕切り直しとなった。家族として覚悟のようなものが芽生えた、という確かな手応えと、移住先そのものをゼロから考え直したい、という揺れ。そのどちらもが、嘘偽りなく、いまの我が家である。

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